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高橋 英夫(たかはし ひでお、1930年(昭和5年)4月30日 - )は、日本の文芸評論家、日本芸術院会員。 == 来歴・人物 == 東京府滝野川に生まれる。1947年、第一高等学校に入学(一高最後の卒業生)、1950年東京大学文学部独文科に入学、53年卒業、大学院に在籍。以後、指導教授手塚富雄の勧めでヘルダーリンの詩を訳し(のち河出書房新社「全集1 詩集」)、手塚との共訳でマルティン・ハイデッガー 『乏しき時代の詩人』(理想社)や、一高同期の友人粕谷一希の勧めで、ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を訳し、その際に林達夫の指導を受け没時まで師事した。 1964年から立教大学非常勤講師を30年務める。1966年から武蔵野音楽大学非常勤講師を15年務める。1968年、「折口学の発生序説」を『中央公論』に発表、以後文芸評論を書き続ける。1970年、最初の著書『批評の精神』を刊行した。1972年から東大独文科非常勤講師を2年間務め、1973年から明治大学非常勤講師を3年間務めた。1994年後藤明生の誘いにより近畿大学教授に就く。1997年、芸術院会員となる。1998年近畿大学を定年退職。〔『批評の精神』講談社文芸文庫附載年譜〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高橋英夫 (評論家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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